花文字で描く青海波
The meaning of the pattern “Blue Sea Wave”
- Calm life
描き方は協会の会員さんに伝授となりますので、こちらでは花文字で描いた青海波と青海波のマメ知識を紹介します。
花文字で描く青海波
青海波の持つ意味
- 穏やかな生活
青海波を用いた作品例
作品全体です↓
この作品で使われた吉祥絵柄の説明はコチラ↓
青海波を描くにあたり「青で描く」というルールはありません。作品に合わせて、色を選べます。
また青海波と、海辺を群れて飛ぶ鳥の千鳥は相性がいいことから、青海波を入れたら、近くに千鳥を複数羽描くことが多いです(ですが千鳥を入れる、入れないも自由です)。
飛鳥時代にペルシャ発祥の青海波が日本に伝わる
青海波は古代ペルシャで発祥したと言われています。シルクロードを経て、中国へ行き、飛鳥時代に日本に伝わりました。
この時代のハニワの衣装に青海波が描かれています。
その後、ハニワ以外にも陶器や蒔絵、舞楽の衣装、能装束、小袖(日本の着物の原形)にも描かれるようになりました。
光源氏の舞った青海波がとんでもない美しさだったとか
青海波の文様の名前の由来は、舞楽『青海波』の装束に用いられたことからきたと言われています。
平安時代の名作『源氏物語』(紫式部)では若き日の光源氏が雅楽『青海波』を舞った様子が書かれています。
「色々に散り交(か)ふ木の葉のなかより、
青海波のかかやき出(い)でたるさま、
いと恐ろしきまで見ゆ」
季節は秋、紅葉がはらはら舞うなか、光源氏と頭中将(とうのちゅうじょう)の二人が舞います。
青海波の描かれた装束をお召しになり、寄る波、引く波を舞で表現した光源氏は輝くようで、それはもう恐ろしいほど美しかったと描写されており、きっと異次元級の美しさだったと思います。
江戸時代、青海勘七が青海波を流行させる
江戸時代になると、漆師(ぬし)の青海勘七(せいかいかんしち)が特殊な刷毛で巧みに青海波を描き、青海波は大流行しました。
青海勘七は生没年不明。元禄年間(1688-1704)に江戸で活躍した青海波塗の創始者です。
青海勘七がどんな刷毛を使ったのか興味がわきますね。
どうやら漆を薄く塗って完全に乾く前に鋸歯状の篦(へら)や猪毛または真鍮(しんちゆう)の刷毛(はけ)で波文を描いたそうです。
猪毛は固い毛です。ヘラ、猪毛や真鍮のハケと堅い物でまだ乾く前の漆の表面をなでながら青海波をひとつひとつ描いたのでしょう。
花文字も花文字用の平たい筆で描くのですが最初に筆を置く場所がよくなかったり、描く速さもためらって止まったり、遅くなったりするときれいには描けません。
一発勝負なところが共通しているように思えます。
さて青海勘七は漆師(ぬし)なので、漆器や刃装具に塗りましたが、青海波の図案は庶民の間で流行し、染物や陶器にも描かれます。
青海波にたくす、永く続く穏やかな生活への願い
波文(なみもん)には波がしらを立てる激しい波の「立浪」もありますが、青海波の方は穏やかに寄せては返すを繰り返す静かな波です。
青海波からは優しく広い海の恩恵を感じとれます。
無限に広がるこの文様に、私たちは昔も今もずっと永く続く穏やかな暮らしへの願いを込めてきました。
誰しも人生どうしても荒波に翻弄されるときもあるからこそ穏やかな暮らしの願いの込められた非常に縁起のよい文様となったのだと思います。
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